History of Olympics

スポーツ大国アメリカは、1896年の第1回アテネ大会からオリンピックに参加する数少ない国ですが、その第1回には僅か14の国しか参加していませんでした。アメリカはそのアテネ大会で最多11個の金メダルを獲得。オリンピック黎明期から、アメリカは既にその存在感を発揮していたのです。特にその後お家芸となる陸上では、9個もの金メダルを獲得しています。

ストックホルム大会での躍進

その後の2大会、パリ、ロンドン大会では、開催国に獲得金メダル数で後塵を拝することになるアメリカでしたが、1912年のストックホルム大会では、開催国のスウェーデンが獲得した24を1つ上回る最多25個の金メダルを獲得し、スポーツ大国の名を改めて世に知らしめたのです。この時もメダル獲得の中心は陸上で、100m、200mのラルフ・クレイグ、5種、10種競技のジム・ソープなどが有名です。

ヒトラーに負けたベルリン大会

Berlin tournament lost to Hitler

ストックホルム大会を含め、5大会連続で最多金メダル獲得を続けていたアメリカでしたが、1936年「ヒトラーのオリンピック」と後年呼ばれることになるベルリン大会において、トップの座をドイツに譲ってしまいます。しかしそれは独裁者ヒトラーが、国威発動のために国力を総動員したためで、アメリカのスポーツ大国という名前に傷がつくものではありませんでした。特に花形競技である陸上では、ジェシー・オーエンスが4冠を達成し、留飲を下げています。

アメリカとソ連の戦い

戦後のオリンピックでも存在感を放ち続けるアメリカでしたが、そこにソ連が立ち向かってきます。国威発動のためにオリンピックに力を入れ始めたロシアは、1952年ヘルシンキ大会でアメリカの40個に次ぐ22個の金メダルを獲得し、存在感を見せ始めます。そして1956年メルボルン大会において、ロシアはついに金メダル獲得数でアメリカを凌駕するのです。ここから激しい二国間のメダル競争がソ連の崩壊まで繰り広げられることになりました。

中国という新たなライバル

Beijing Olympics

ソ連崩壊後、アメリカのライバルとなったのは、10億を超える人口を誇る中国でした。中国は自国開催となった2008年の北京大会で、見事アメリカを上回る金メダルを獲得したのです。しかしアメリカはその後のロンドン、リオ大会と2大会連続で最多の金メダルを獲得し今日に至っています。

オリンピックの歴史で一貫して強豪であり続ける唯一の国、それがアメリカなのです。